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↑ 上の一連の写真は、せいぜい5分そこいらの短い時間であったが、我々はここがジョージAFBの禁断のエリアだったとは気が付かずに入ったいた為、この後エライ目に遭うのである。ここは、ワイルド・ウィーズル(対レーダーサイト・対防空ミサイル網破壊任務)を請け負っていた部隊の為 正式の許可なしで撮影することは極めて危険であったのだ。着陸だけを狙ってランディング・ポイントで目立たぬように撮っていれば問題ないが、タキシング/ピン抜きポイントに許可無く近づくと大目玉を食った。ご覧のように200mmレンズで 機首アップである。こんな絶好な撮影ポイントは無い!しかも柵は膝下ぐらいの高さであった為 何も邪魔するもの無くF-105/F-4E/Gの転がりが撮れるのである。「ジョージは写真が撮れる」とだけの先輩からの情報だけで、此処のセキュリティ事情を知らない我々は、真っ先にF-4の音のするこのポイントで撮影してしまった。柵の中で作業する兵士も笑顔で迎えてくれていた・・・(そんなつもりでいた。F-4が離陸し F-105Gが続々と帰ってきたので、降りのポイントに移動した時である・・ピーポピーポ・・キュルルルル 振り返ると基地内からセチュリティがすざましい勢いで追いかけてきた。我々は直ぐ下車してパスポートを提示しようとしたが、何と2人のセキュリティは、M-16自動小銃に弾倉を装着し、こちらに銃口を向けてるでないか!!!「やめろ!危ないだろう!」等と言っている余裕も無く、必死で彼らの傍まで行きパスポートを提示して 「我々は、趣味として航空機撮影目的で来た事、車を動かしたのは、逃げたのではなく撮影場所を変えただけ」と説明。逮捕こそされなかったが、「直ぐ立ち去れ 2度と近づくな!」と恫喝され退散と相成った。(うぁ~怖かった)
右のインシグニアは、見覚えがあるはずです。そうです!現三沢のF-16航空団のものですね・・・この部隊 ベトナム戦の頃から活躍が注目されていた部隊で、初めてワイルド・ウィーゼル任務を割り当てられた部隊である。カルフォルニア州ジョージ空軍基地に本拠地を置き、1980年前後はF-105GとF-4E/Gを併用していた。1970年代後半は3個飛行隊がF-105を使用、後にF-4Gの配備を受ける事になるが、テールレターに”GA”と”WW”の2種類を使用した変り種の航空団であった。ただ後に全て”WW”に統一している。35th TFWは、1991年に35th FWに改称されたが1993年ジョージ空軍基地の閉鎖と共に、その役割をアイダホ州空軍に譲り解体された。三沢で同名の航空団が復活したのは、ずっと後の事である。
↑ 21st TFTSと同じくジョージで当時の西ドイツ空軍パイロットを養成していた部隊で”シルバーロボス”と言う飛行隊のF-4E。20th TFTSは、1981年から1992年までジョージ空軍基地で運用され、その後ホロマン空軍基地に移動した。このF-4E/75-0634は、1983年にジョージ空軍基地の付近で墜落して失われている。
↑ 39th TFSは、1982年から1984年の3年間のみジョージ空軍基地でF-4Eの実戦部隊として活動していた。インシグニアのコブラのマークを入れている。ベトナム戦で2機のMig-21を撃墜している機体で、ジョージ空軍基地を去った後は、ネリスで57th FWWに移管された。57th FWWのページにもイラスト掲載。
↑ 多くのファントムスコードロンが、ジョージ空軍基地で活動したが、最も長い期間F-4Eを使っていたのが、当時西ドイツ空軍パイロットの養成を担当した20th TFTSと21st TFTSの2個飛行隊。上は、黒豹をインシグニアとする20th TFTSのF-4E/67-0241。飛行隊マークは尾翼に入っている。
F-4E  35th TFW